秋の高山祭(八幡祭)

秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。また、春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。

「高山祭の屋台行事」ユネスコ無形文化遺産登録
飛騨の匠の技を伝える豪華絢爛な国の重要有形民俗文化財に指定された11台の屋台が勢揃い

16世紀後半から17世紀が起源とされる高山祭。高山祭とは春の「山王祭」と秋の「八幡祭」、2つの祭をさす総称で、高山の人々によって大切に守り継がれてきました。

このうち、高山を秋の彩りで染める「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭です。毎年10月9日・10日、安川通りの北側に11台の屋台が登場。屋台が町を巡る曳き廻しや布袋台のからくり奉納などの伝統的な祭行事が楽しめます。

祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。

秋の高山祭では動く陽明門とも称される「祭屋台」が11台曳き揃えられ、その豪華絢爛な姿を披露してくれます。また、闘鶏楽(とうけいらく)や裃姿(かみしもすがた)の警固など伝統の衣装を身にまとった総勢数百名におよぶ祭行列が、お囃子や雅楽、獅子舞に先導され祭地域をまわります。夜になると各屋台はそれぞれ約100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾ります。飛騨人の意気が高まる高山祭。高山の揺るぎない誇りです。

伝統を受け継ぐ祭行事の見どころ 御神幸(祭行列)

タイムスリップしたかのような、昔の装束をまとった総勢数百人の祭行列

闘鶏楽(とうけいらく)、裃姿(かみしもすがた)の警固など伝統の衣装に身をつつんだ総勢数百名の大行列が、お囃子や雅楽などを奏でながら町を巡ります。9日の午後に櫻山八幡宮を出発し町を巡ります。10日は午前に櫻山八幡宮を出発し、お旅所を経由して櫻山八幡宮へ帰っていきます。

屋台曳き揃え

豪華絢爛な屋台が曳き揃う、圧巻の景色

秋の空の下、国の重要有形民俗文化財である八幡祭の屋台11台が曳き揃えられます。9日・10日とも、からくり奉納を披露する布袋台は八幡宮境内に、他の10台の屋台は表参道に登場。屋台彫刻や見送幕、構造の細部まで鑑賞できる機会とあって、多くの人々が屋台を囲み感嘆の声をあげています。

屋台曳き廻し

屋台が転回する大迫力の曳き回し

9日午後に行われる屋台曳き廻しは、秋の高山祭だけの貴重な行事。4台の屋台が町を巡る姿が眺められます。4台のうち神楽台・鳳凰台は毎年登場。残る2台は布袋台を除く屋台から交代で参加します。

精巧な動きが魅力的なからくり人形

精巧な動きが魅力的なからくり人形

櫻山八幡宮境内では9日・10日とも1日2回、布袋台によるからくり奉納が披露されます。2体の唐子が棒を渡って布袋様に飛び移り、布袋様が軍配を一振りする巧妙なからくりが見どころ。綱さばきによる動きとは思えない、人形たちの演技に魅了されます。

宵祭(よいまつり)

提灯を灯した屋台が幻想的な雰囲気

高山祭のもう一つの魅力を教えてくれるのが、9日の夕方から始まる宵祭。それぞれ約100個もの提灯を灯した屋台が町を巡り、伝統の曳き別れ歌「高い山」を歌いながら、各屋台蔵へと帰っていきます。ゆらゆら揺れる灯りが闇夜に映え、秋の情感をかきたててくれます。

屋台

※文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より

神楽台(かぐらたい)

<沿革>
宝永5年(1708年)、以前に金森重勝(左京)から寄進されていた大太鼓を、荷車風のものにのせ、獅子を舞わせて祭礼に巡行しました。享保3年(1718年)には氏子の有力者風井屋長右衛門が神楽台を新調寄付しました。文化12年(1815年)に大改造。嘉永年間(1848年から1854年)に修理。明治37年(1904年)に現在の台形に改造されました。昭和9年、昭和41年修理。

文化改修
設計:田中大秀
工匠:風井屋長右衛門
明治改修
工匠:村山民次郎

構造:屋根無 太鼓昇降 四輪外御所車

<特色>
金森重勝寄進の太鼓は音響遠近にとどろき、文久年間(1861年から1864年)には他組の妬(ねた)みをうけて鎌で切りつけられたと伝えられています。祭礼に際しては、侍烏帽子、素襖(すおう)姿の5人の楽人をのせ、獅子舞を付随させます。棟飾りの鳳凰と、天照、八幡、春日の3神を表した金幣束が独特です。

布袋台(ほていたい)

<沿革>
創建年代未詳。天明年間(1781年から1789年)には布袋のからくりが行なわれたと伝えられます。文化8年(1811年)、現在の台形に大改修されました。大正初年、昭和35年、昭和42年修理。

文化改修
工匠:古田与兵衛
彫刻:中川吉兵衛

構造:切破風屋根 四輪内板車

<特色>
からくり人形は、36条の手綱で操り、綾渡(あやわた)りと呼ばれる極めて精緻巧妙(せちこうみょう)なものです。6段崩しの曲につれ、男女2人の唐子が5本の綾(あや)(ブランコ)を回転しながら飛び伝い、機関(からくり)樋の先端で所作をしている布袋和尚の肩に乗って喜遊すると、布袋の左手の軍配の中から「和光同塵(わこうどうじん)」と書いた幟(のぼり)が出てくるという構成です。鳥居形の出入口や、下段の上部が中段の役目をするなど、文化年間以来小修理しか行なわれていないため、台形に古趣を豊かに残した屋台です。

金鳳台(きんぽうたい)

<沿革>
享保3年(1718年)に曳行に加わったという伝承があり、天明年間(1781年から1789年)に曳行の記録もあり、創建年代は古い。文化年間(1804年から1818年)に一時休台。文政元年(1818年)に再興して、神功(じんぐう)皇后、武内宿禰(たけうちのすくね)の飾り人形の修理も行われました。嘉衛5年(1852年)に改修。その後数度の修理を行っています。

文政再興
工匠:古田与兵衛
嘉永改修
工匠:角竹茂助

構造:切破風屋根 四輪内板内車

<特色>
棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張っています。中段欄間には、四条派風に四季の草花が描かれています。人形の竹内宿禰が抱いているのは応神天皇です。一見地味にも見えるこの屋台は、それだけに文政再興当時のおもかげをよく残しており、構築上、最も整備された形態をもつ屋台として聞こえ、初期の屋台の風格をしのぶ優美な屋台です。

大八台(だいはちたい)

<沿革>
文化年間(1804年から1818年)、文政台組と分かれ、文政元年(1818年)に高山で最初の3輪の屋台として創建されました。明治41年、昭和30年、昭和46年修理。

文政創建
工匠:光賀屋清七
塗師:輪島屋儀兵衛
明治改修
工匠:村山民次郎

構造:切破風屋根 三輪外御所車

<特色>
台名の由来ともなっている3輪の御所車(大八車)のうち、外2輪は高山屋台中最大で、直径は1.56メートルあります。屋根飾りには両端に八幡、春日大神を表す大金幣束を立っています。屋台囃子(ばやし)の名曲「大八」はこの組の作曲で、他の多くの屋台組でこれを崩して使っています。中段は幕を張らず、御殿風の吹きぬけで楽人が見えるようにし、以前はここで雪洞(ぼんぼり)を灯し、青、緑、桃色の直衣烏帽子(のうしえぼし)をまとった6人の童子が大八の曲を優雅に奏しました。

鳩峯車(きゅうほうしゃ)

<沿革>
延享4年(1747年)以前の創建で、大変古い屋台です。当時は「大津絵(おおつえ)」という台銘で「外法(げほう)の梯子剃(はしごそ)り」と呼ばれる福禄寿と唐子のからくり人形がありました。文政9年(1826年)、大破のため休台し、天保8年(1837年)に再建されました。この時4輪より3輪御所車となり、八幡宮にちなみ台銘も「鳩峯車」と改められました。安政年間(1854年から1860年)にも大破のため休台し、慶応3年(1867年)修理、明治27年(1894年)大修理その後も数度の修理を重ね現在に至っています。

天保再建
工匠:牧野屋忠三郎・彦三郎
慶応改修
工匠:谷口与三郎宗之
明治改修
工匠:村山民次郎

構造:切破風屋根 三輪外御所車

<特色>
見送り幕、胴掛け綴錦織(つづれにしきおり)の高価なもので、天保再建の際、購入したものです。これだけ贅沢な幕をしかも四方に掛けている屋台は他にありません。

神馬台(じんまたい)

<沿革>
享保3年(1718年)「高砂(たかさご)」の名で曳行したといわれます。明和6年(1769年)改造。文化13年(1816年)に神馬の人形を新調し、この頃から「神馬台」と呼ばれました。文政13年(1830年)再改造。安政年間(1854年から1860年)、明治35年(1902年)修理。その後も数度の修理をして現在に至っています。

構造:切破風屋根 四輪内板車

<特色>
下段4隅の丸柱は中段に突き抜けて、先端に青龍刀を付け、4神旗をかけています。飾り人形は以前は高砂の翁(おきな)と媼(おうな)の2体であったが、文化9年(1812年)に他組に譲り、現在は跳躍する白馬と2人の馬丁の人形を飾っています。昔は、別名を暴れ馬といい、祭のときに隣りにあった組などとよくけんかをしたといいます。紫鱗(うろこ)紋織り出しの大幕に刺繍された大般若(はんにゃ)面が印象的で、屋台囃子には雅楽の越天楽(えてんらく)を用いています。

仙人台(せんにんたい)

<沿革>
八幡祭の屋台行列は享保3年(1718年)の開始と伝えられ、その頃の屋台「湯(ゆ)の花」の組が分かれて仙人台の組ができたといわれます。明和から安永の始め頃に仙人台の屋台が造られたと推測されます。その後再建し、寛政5年(1793年)の記録には「仙人台」の名がみえ、当時は久米(くめ)の仙人と美女のからくり人形がありました。文政年間(1818年から1830年)改修。その後数度の修理を重ねて現在に至っています。

文化改修
工匠:古田与兵衛・浅井一之(かずゆき)

構造:唐破風屋根 四輪車内板車

<特色>
最も古い形を残した屋台といわれています。以前は他の多くの屋台が唐破風の屋根であったといわれ、切破風に変わり、この屋台だけが唐破風の古態を残しています。屋根飾りには極彩色の剣巻龍を前後に立てています。往時は久米の仙人が、洗濯する美女の美しさに見とれて雲上から墜落するというからくりがありましたが、明治初期に廃止され、現在は仙人の像のみが飾られています。

行神台(ぎょうじんたい)

<沿革>
八幡祭の屋台行列の始まりといわれる享保3年(1718年)には、屋台4台が曳かれましたが、その1台「湯の花」から分かれて創建されたといわれます。天保2年(1831年)改修。明治8年(1875年)の大火で一部を焼失し、同16年(1883年)に恵比須台より部品を譲り受け再興されました。その後明治36年(1903年)より破損のため休台しましたが、昭和26年、大修理をして50年ぶりに復活し、屋台蔵も建造されました。昭和43年、昭和59年修理。

構造:切破風屋根 四輪内板車

<特色>
祭神として、役小角(えんのおずの)(役の行者)の飾り人形を祀り、中段高欄は玉垣、上段高欄の4隅には密教の法具五鈷(ごこ)をさすという形態になっています。これは、当地域が、役小角を崇敬する一人の行者によって開拓されたため、その遺徳を追慕したことに由来します。また、このような由緒から、以前は道開きの屋台として常に神楽台につぎ全屋台の先頭を曳いていました。

宝珠台(ほうじゅたい)

<沿革>
創建年代未詳。安永の頃(1772年から1781年)の創建説もあります。文政11年(1828年)から12年(1829年)大改造。その後明治41年(1908年)にも改修され現在の台形に改められました。以後数度の改修をして現在に至っています。

文政改造
工匠:中洞村喜三郎
明治改修
工匠:村山民次郎

構造:切破風屋根 四輪内板車

<特色>
屋根飾りとして、雌雄の大亀一対と台名に由来する大宝珠3個が飾られています。以前は7色に染め分けられていた宝珠が下段高欄に飾られていましたが、それは廃され、中段と屋根飾りに金銀の宝珠が飾られています。ケヤキ1枚板の台輪(だいわ)は高山の屋台中で最も美しいものといわれています。屋根の亀はこの屋台の名物で、ある朝、この亀がいなくなったので探していると、宮川の水の中に。そこに「名工の作った亀は水を求めて川に入る」と書かれた立て札が立ててあり、他組のいたずらだったという話があります。

豊明台(ほうめいたい)

<沿革>
創建年代未詳。はじめは「芦刈(あしかり)」という台名でからくり人形があったといわれます。天保6年(1835年)改造。この頃の台名も八幡宮の祭神応神天皇の豊明宮(とよあけのみや)に因み、「豊明台」と改められました。明治33年から35年(1900年から1902年)大改修。その後も数度の修理をして現在に至っています。

明治改修
工匠:村山民次郎

構造:切破風屋根 四輪外御所車

<特色>
もとは天皇の即位する8角形の高御座(たかみくら)を模した台形であり、明治改修以前まで、下段中段ともに、縁(ふち)の4隅を切って8角形にしていました。現在はその名残を大幕の部分に残しています。屋根飾りの大鳳凰と宝珠、上段の菊花彫刻、中段の牡丹彫刻、中段の白彫りの12支の彫刻、下段の唐獅子、御所車など、華麗に装飾された屋台です。

鳳凰台(ほうおうたい)

<沿革>
創建年代未詳。文政元年(1818年)に再興され、嘉永4年から7年(1851年から1854年)改修が行なわれました。明治40年から43年大修理。その後数度の補修をして現在に至ります。

嘉永改修
工匠:谷口延恭(のぶやす)
彫刻:谷口与鹿・浅井一之
明治改修
工匠:村山民次郎

構造:切破風屋根 四輪内板車

<特色>
下段にあるケヤキ白彫りの谷越獅子の彫刻は高山の屋台彫刻中最大のもので、名工谷口与鹿の下絵をもとに、与鹿とその弟子浅井一之によって彫られたといわれます。明治の改修まで3万坪(1坪は3.3平方センチメートル)もの大量の金具が打たれています。本見送りは柚原双松筆の鳳凰の綴錦織(つづれにしきおり)、替見送りは西村五雲筆の龍の墨絵で、華麗で均整のとれた屋台です。

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