日本遺産主な構成文化財

日本遺産 飛騨匠の技・こころ - 木とともに、
今に引き継ぐ1300年

1300年前、都の造営のため飛騨の木工技術者を都へ送ることで税に充てた「飛騨工(ひだのたくみ)制度」。
古来より「木を生かす」技術や感性・実直な気質は受け継がれ、高山の文化の基礎となり、現在も様々なところで飛騨匠の技とこころに触れることができます。あなたも飛騨人が木と共に生きてきた1300年の歴史を感じてみませんか。

日本遺産とは?

「日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定するものです。(文化庁HPより)

飛騨工(ひだのたくみ)制度

飛騨では14箇寺以上と全国屈指の密度で古代寺院が見つかっており、飛騨工制度が成立する背景となりました。

飛騨国分寺塔跡・・・古代建てられた七重塔の礎石

国府盆地の中世社寺建築群

古代寺院跡の多い国府盆地。中世に遡る建造物も多く残されています。

高山城とゆかりの建築群

「城郭の構え、およそ日本国中に五つともこれ無き見事なるよき城地」といわれた名城高山城。城は元禄8年(1695年)に取り壊されましたが、移築された建物が東山寺院群などの建物として残されています。それらを巡ることで、城下町として出発したころの高山を感じることができます。

高山城本丸(復元推定図)
高山城址(城山公園本丸)
雲龍寺 鐘楼門…慶長6年(1601年)に高山城内の黄雲閣を移築
法華寺本堂…17世紀前半、高山城内の建物を移築
神明神社絵馬殿…元禄8年(1695年)、高山城内の月見殿を移築

近世・近代の匠達

町人文化が発達した近世以降、多くの名建築・工芸品を生み出されました。代々木工を職とする一門が多く現われ、飛騨匠の技は伝承されました。このうち、飛騨権守(ひだごんのかみ)・藤原宗安の直系とされるのが、江戸時代中期以降4代にわたり「水間相模守(みずま さがみのかみ)」を名乗り、優れた彫刻を特徴とした水間一門です。

大雄寺山門
吉島家住宅…四代 水間相模に師事した西田伊三郎により明治40年(1907年)に建築。簡素な美しさを見せる高山の町家建築の白眉。
日下部家住宅(日下部民藝館)…飛騨の大工の名門、谷口家 谷口延恭に師事した川尻治助により明治12年(1879年)に建築。 吹き抜けの梁組はスケール感を感じさる。

木を生かす伝統工芸

木の美しさを生かす技は、建築以外にも発揮されました。加工から漆塗まで全てに高い技術が要求される「飛騨春慶」、イチイの木が持つ美しさを生かした彫刻「一位一刀彫」、これらの伝統工芸・木工技術の粋を結集したのが高山祭屋台です。

飛騨春慶
一位一刀彫
高山祭屋台

問い合せ先

高山市飛騨匠日本遺産推進協議会(高山市役所文化財課)
電話/FAX 電話:0577-32-3333/FAX:0577-35-3172
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