飛騨高山ゆかりの人物「山岡 鉄舟」の足跡を辿る

飛騨高山ゆかりの人物「山岡 鉄舟」の足跡を辿る

飛騨高山ゆかりの人物「山岡 鉄舟」の足跡を辿る

江戸末期に活躍した「幕末の三舟」の一人である山岡鉄舟は、少年期を飛騨高山で過ごしました。

飛騨高山には山岡鉄舟にゆかりのある場所がいくつかあります。飛騨高山で山岡鉄舟の足跡を辿ってみませんか。

山岡 鉄舟とは

1836(天保7)年~1888(明治21)年

山岡鉄舟は1836(天保7)年、江戸で幕府の蔵奉行をしていた小野朝右衛門の4男として生まれました。1845(弘化2)年、父が蔵奉行から飛騨郡代へと転役を命じられ、鉄舟も父に同行して飛騨高山での暮らしを始めます。高山では書と剣術北辰一刀流を学び、どちらも抜群の腕前であったと伝えられています。

1851(嘉永4)年に母を、その翌年父を相次いで亡くした鉄舟は、5人の弟を連れて江戸へ戻りました。その後山岡家の養子となり、姓を山岡に改めます。

1859(安永4)年、鉄舟は尊王攘夷党を結成し、激動の時代にその身を投じていきます。鳥羽・伏見の戦いの後、将軍直々に命を受け、新政府軍の大将であった西郷隆盛と会談し、これを説得、江戸救済の道を開き、同時に徳川家の安泰にも寄与しました。

明治維新後は、明治天皇の侍従となり、忠誠を尽くし、天皇の厚い信頼を受けていたことを伺わせる様々なエピソードを残しています。

鉄舟は剣、書、禅に優れ、数々の業績を残しています。まず剣については北辰一刀流を学び鍛錬を積んで、45歳のとき剣の道を極め、「一刀正傳無刀流」を開きました。書については鉄舟の高山時代、岩佐一亭が師匠となり教えました。一亭より「弘法大師流入木道」五十二世の免許皆伝を受けています。生涯に残した書の数はおよそ3万枚とも言われています。禅は様々な僧侶について学び、高山では宗猷寺住職に学んだと言われています。

 

1836年 天保7年  6月10日、小野朝右衛門高福の四男として江戸に生まれる。

1845年 弘化2年  7月1日、父が飛騨高山郡代に転任したため、これに同行する。

1850年 嘉永3年  書道の師、岩佐一亭より書の秘伝を譲られ、一楽斎と号する。

1851年 嘉永4年  母が病没する。父の招請により、北辰一刀流の師井上清虎が高山に到着する。

1852年 嘉永5年  父が病没する。5人の弟を連れて江戸に帰る。

1855年 安政2年  山岡静山に槍術を学ぶ。静山急死の後山岡家の養子となり、静山の妹英子と結婚する。

1859年 安政6年  尊王攘夷党を結成し、清川八郎らと結託する。

1863年 文久3年  浪士取締役となり、時の将軍徳川家茂と上洛する。

1868年 明治元年  将軍徳川慶喜の命を受け、新政府軍参謀西郷隆盛と静岡で会談。これを説得し、江戸の無血開城を成し徳川家の安泰を守った。

1869年 明治2年  静岡藩権大参事となる。

1872年 明治5年  明治天皇の侍従となる。

1873年 明治6年  皇居が炎上した際、淀橋の邸宅より駆けつける。

1878年 明治11年 明治天皇の北陸・東海地方御巡幸に供奉する。

1880年 明治13年 禅の悟りを開き、師匠から印可を受ける。同時に剣の道を極め、武刀流を開く。

1882年 明治15年 一度宮内省を辞任するが、再度天皇の命を受け宮内省御用掛となる。

1883年 明治16年 普門山全生庵を現在の東京都谷中に建立する。また、静岡県静岡市に鉄舟寺の建立を決意する。

1888年 明治21年 7月19日午前9時15分、座禅のまま大往生を遂げる。7月22日、東京の谷中の全生庵に埋葬される。享年53歳

山岡鉄舟ゆかりの地

 飛騨高山には山岡鉄舟にゆかりのある場所がいくつかあります。飛騨高山で山岡鉄舟の足跡を巡ってみませんか。

(1)高山陣屋

山岡鉄舟の父は飛騨郡代として、この高山陣屋に赴任し、鉄舟もここに住んでいました。また、陣屋前広場の北側には山岡鉄舟の青年期の銅像が近くに立っています。

高山陣屋は国指定の史跡で、幕府直轄地時代にはここで政治が行われ、明治時代に入ってからは建物の一部が撤去され、敷地に郡代所、警察署、裁判所の建物が建てられました。平成8年3月に江戸時代の建物の復元整備が完成しました。全国に唯一建物が現存する郡代・代官所です。

【高山陣屋】

  開館時間 3月~10月 午前8時45分~午後5時(8月は~午後6時)

       11月~2月 午前8時45分~午後4時30分

     休館日 12月29日、31日、1月1日

  入館料 大人430円

  高山市八軒町1-5

  電話 0577-32-0643

鉄舟
鉄舟銅像

陣屋
高山陣屋


(2)宗猷寺

鉄舟の両親は高山で亡くなったため、両親のお墓がここ宗猷寺境内に建てられています。また、次のようなエピソードがあります。

鉄舟が11歳のとき、一人で宗猷寺に遊びに行って寺の大鐘を眺めていたら、和尚に「その鐘が欲しければあげましょう」と言われたので、早速仲間の若者たちを集めて寺に向かい、大勢で寺の鐘を降ろそうとしました。和尚は冗談で言ったことだったのですが、それを詫びても鉄舟は頑として聞き入れず、父がとりなしてようやく落着した、というエピソードが残っています。

【宗猷寺】

  高山市宗猷寺町218

  電話 0577-32-1958

宗猷寺写真
宗猷寺

鐘堂写真
鐘堂

鉄舟父母の墓写真
鉄舟父母の墓


 

(3)飛騨高山まちの博物館

城下町だった高山の歴史や、その中で育まれてきた美術工芸、伝統文化などを紹介している施設です。ここでは、鉄舟の書「兵法機運之書」と鉄舟の肖像画をご覧いただけます。

 

◇特別展開催◇

平成30年10月5日金曜日~12月9日日曜日まで、「幕府が治めた飛騨-177年の政治と文化を見る」と題した特別展を開催します。特別展において鉄舟の書と肖像画を展示するとともに、鉄舟に関連した講座を開催します。是非お越しください。

  •    10月14日日曜日午前10時から「幕末の動乱を生きた山岡鉄舟講演会」
  •    11月11日日曜日午後1時30分から「幕領時代の始まりと最終章-伊那代官、山岡鉄舟」

  ※どちらも予約不要

【飛騨高山まちの博物館】

  開館時間 午前9時~午後7時 

  年中無休(臨時休館有)

  入館料 無料

  高山市上一之町75

  電話 0577-32-1205

 

飛騨高山まちの博物館

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