38, 木地師の集団墓地(日本遺産構成文化財)
宗猷寺に残る93基の墓 木地師とは、良質な木材を求めて山々を渡り歩き、ろくろを使って木材から椀や鉢、合子などの日用器物をつくる職業集団のことをいいます。 伝承では、弟に立太子を先んじられ近江小椋郷に隠棲した、文徳天皇の第 […]
宗猷寺に残る93基の墓 木地師とは、良質な木材を求めて山々を渡り歩き、ろくろを使って木材から椀や鉢、合子などの日用器物をつくる職業集団のことをいいます。 伝承では、弟に立太子を先んじられ近江小椋郷に隠棲した、文徳天皇の第1皇子惟喬(これたか)親王が業祖とされています。 山林資源に恵まれた飛騨にはこうした木地師の足跡が多く残ります。 木地師の墓は山間の住居近くに立てるのが普通ですが、宗猷寺には、宝永8(1711)年以降に築かれた93基の墓が1集団をなして残されています。
住所 | 岐阜県高山市宗猷寺町宗猷寺裏山 |
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